わたしのひとり会

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「噺は生きている」(広瀬和生)を読んだ感想

「噺は生きている」(広瀬和生)

 

 落語ブームは昔から細々と続いていますが、以前よりも落語の面白さを解説する番組や記事、イベントが増えているように感じます。「この噺はこんなストーリーです」「扇子と手ぬぐいだけで表現するよ」「江戸の世界ではこんな風習がありました」といった解説が多いのではないでしょうか。この本は、そういった解説にはちょっと飽きてきた人に薦めたい本です。

 

 古典落語は、ストーリーや登場人物がほぼ決まっています。ではなぜ落語好きの人は、オチまで知っている噺を何度聞いても楽しいというのでしょうか。それは古典落語の骨組みがしっかりしていて、何度聞いても飽きない楽しさを備えているからでしょう。でもそれ以上に「噺は生きている」からなのだと、この本は教えてくれます。

 

 「噺は生きている」とはどういうことか。それは二百余年前から受け継がれてきた噺を、その時代時代の噺家たちがアップデートしていくことです。古典落語はストーリーと登場人物は決まっていますが、登場人物たちが何を思って、なぜそんなことが起きたのか、という解釈は噺家によって全く違います。例えば「芝浜の女房はどんな女なのか」「なぜ高尾は紺屋の職人風情に嫁いだのか」「左官の長兵衛はどうして財布を文七に投げつけるのか」といった部分に、その噺家はどんな答えを出したのか。この本はそれを丁寧に教えてくれます。登場する噺家は明治の大名人・圓朝から新進気鋭の一之輔など、さまざま。私の大好きな談志と志ん朝にも、大きく紙幅を割いています(^^)

 

 落語は噺家が面白い話をして楽しませてくれるだけでなく、聴く側が楽しさを見つけていく娯楽なのではないかと思います。ここで私の見つけた楽しみを一つ、ご紹介したいと思います。

 この本の第一章「芝浜」では、主に「女房をどう演じるか」にスポットが当てられています。例えば文楽は美しい情景を描きながら、とある夫婦の「良い話」として。人情噺の嫌いな談志はそれに反発。「あの女房は可愛くない」と言い、一組の男女のドラマチックな物語として。噺家によっては「ラブラブ夫婦の物語」「旦那のことが大好きでちょっとおバカな女房の騒動」など、ニュアンスの違いが分かりやすく解説されます。その解説をぶつさに読んだり、どんな風に話していたか実際に聞いたりしているうちに、「女房をどう演じるかに、噺家本人の女性観がにじみ出る」ということに気付きます。「芝浜の女房=その噺家の好みの女」とまでは言いませんが、「俺が思う良い女」や「自分の妻」といった要素の影響が現れているような気がしてなりません。そうなってくると「この人優しい人なのかも」とか「意外とロマンチスト?」とか「こいつ女の好みは多分いけすかない」とか、噺家に対する愛着が湧いてきます。今まで以上に「芝浜」を楽しめること、間違いなしです…(笑)

 「芝浜」のほかにも「富久」「紺屋高尾と幾代餅」「文七元結」について書かれています。この本を読めば、きっと落語の新たな楽しみ方を見つけられるはず。ぜひ、多くの人に読んでほしいと思いました。

 

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